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かんじきの戦い (1757年) : ウィキペディア日本語版 | かんじきの戦い (1757年)[1757ねんのかんじきのたたかい]
1757年のかんじきの戦い(1757ねんのかんじきのたたかい、1757 Battle on Snowshoes)は、フレンチ・インディアン戦争中の1757年1月21日に起きた、ロジャーズ・レンジャーズとフランス、インディアン同盟軍の小規模の戦闘である。ロジャーズ・レンジャーズの兵が、かんじきを履いていたためこの名がある。 ロバート・ロジャーズと兵たちは、1月21日に、シャンプラン湖に面したカリヨン砦で偵察遠征を行い、フランスの正規軍とヌーベルフランスの民兵、そしてインディアンによる混成軍を待ち伏せしていた。あたりが暗くなり始める頃、戦闘は終わり、両軍でそこそこの死傷者が出た。フランス側は、イギリス軍(ロジャーズ・レンジャーズ)はかんじきを履いていたため、雪の上の戦いにかなり有利であったと主張している。 ==戦闘に至るまで==
1754年に、アメリカ大陸のイギリス植民地とフランス植民地との間で、この2つの辺境をめぐっての領土争いから、フレンチ・インディアン戦争が勃発し、翌1755年には、本国の正規兵を派遣するまでに白熱化して行った〔Brumwell (2004), p. 55〕。1756年には、フランスは辺境地帯の戦いの大部分でイギリスに連勝した。この連勝中での、唯一の特筆すべき敗戦は、シャンプラン湖からのフランスの南進を阻止した1755年のジョージ湖の戦いである。サンフレデリック砦(現在のクラウンポイントの場所にあった砦)とカリヨン砦(イギリス人にとってのタイコンデロガ砦)を拠点に、フランスとインディアンの同盟軍は、ジョージ湖と、その上流のハドソン川への偵察と調査を行っていた〔Brumwell (2004), pp. 59–82〕。 イギリスの方は、インディアンとの同盟関係はさほどのものではなく、レンジャー(猟兵)の偵察力と情報収集能力に援助を仰いだ〔Brumwell (2004), pp. 70–71〕。これによりレンジャー組織が作られ、ロバート・ロジャーズが指揮官となり、最終的にはロジャーズ・レンジャーズとして知られるようになった〔Brumwell (2004), pp. 103–105〕。
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